定年モンキー

定年退職後の生活についてのありのままの雑記

全国一の宮巡り 愛媛・大山祇神社(令和5年2月5日)

〇 松山方面への小旅行

 2月5日と6日の一泊二日で松山方面へ夫婦で小旅行。
 山陽道しまなみ海道を経て、伊予国一の宮の大山祇(おおやまづみ)神社、焼き物の砥部、松山市内、道後温泉等を観光する予定。
 神戸の自宅を午前5時に出発、大山祇神社には午前9時前頃に到着。

〇 大山祇神社(神社のパンフから)

 全国一の宮の二つ目の参拝神社になる。 
 神社のパンフによれば、
愛媛県今治市広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島である大三島大山祇神社は鎮座する。御祭神は大山積大神(おおやまのづみのおおかみ)一座、天照大神の兄神に当たらせられる。」
 また、「瀬戸内海で活躍をした三島水軍の守護神として信仰をあつめ、奉納された甲冑・刀剣類は常設展示され日本一の武具館として喧伝されています。」等とある。

 日曜日の朝の9時前、晴天。境内に人影はほとんどなかった。


 左下が御本殿、右下が御神木。
 

〇 秋山好古山本五十六等の参拝写真

 前述のように「三島水軍の守護神として信仰をあつめ」との関係か、境内の回廊には、旧軍や海上自衛隊等の幹部の参拝時の写真が多く掲げられている。

 
 司馬遼太郎坂の上の雲」の主人公・秋山好古(陸軍大将)の参拝写真(大正14年)。

 

 
 海軍・山本五十六(当時海軍少将)の参拝写真(昭和9年)。

 


 伊藤博文の参拝写真(明治42年)。

 このほか、旧海軍、海上自衛隊海上保安庁等幹部の参拝写真が多く掲げられている。掲示場所は、御本殿から見て右手の回廊(下の写真)。

 

 御朱印は、残念ながら、コロナ対策のためとして書置きのみだった。

 

〇 焼豚玉子飯、秋山兄弟生誕地、道後温泉
 大山祇神社参拝後は松山市等の観光。
 昼食は今治焼豚玉子飯・半ラーメンセット(白楽天本店にて)

 松山では、月並みだが、「坂の上の雲秋山好古・真之兄弟の生誕地、坂の上の雲ミュージアム道後温泉等に。
 

 下の写真は秋山兄弟生誕地。左は、部屋の正面に掛けられた書は好古の直筆とのこと。ガイドの女性が、ここは全館写真OKとのこと、その上で説明いただいたので、写真を撮らざるを得ない状況に(汗)。

 

 ちなみに、道後温泉本館は、翌6日の月曜日の6時代早朝に訪れたが、男湯は既に満員状態。8時まで入れないというので、別館の椿の湯での入浴を余儀なくされた。が、この椿の湯も風情があって良い湯だった。
 愛媛、松山市、よい所でした。







全国一の宮巡り 京都上賀茂神社(令和5年1月18日)

〇 一の宮巡礼のきっかけ

 定年後、西国や四国の巡礼のほか、夫婦で各地の寺社巡りをすることが多くなった。訪れる神社は、有名寺社が多く、結果として自ずと各地の一の宮が多くなっていた。
 一の宮の授与所等には通常の御朱印帳のほか「全国一の宮御朱印帳」も販売されているのを見かけてもいた。
 そこで、今後も寺社巡りを続けるならば、折角なので一の宮専用の御朱印帳に御朱印を頂戴しながら巡ってみようと思い立った。
 北は北海道、南は九州沖縄まで百ほどあるとのこと。およそ、生きているうちに全部を巡ることはできないであろうが。
 とにかくも、一の宮御朱印帳を購入するため、京都に立ち寄った際に上賀茂神社へ。

〇 上賀茂神社

 地下鉄烏丸線北大路駅から徒歩。鴨川沿いに北上して徒歩20数分。

 
 神社のパンフによれば、神社の正式名が「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」、御祭神は「賀茂別雷神」。「上賀茂神社」の通称は賀茂川の上流にあるためのとのこと。
 さらにパンフによれば「神代の昔、現在地の北北西にある神山(こうやま)にご降臨され、約1400年前には現在の御殿の基が国家により造営された。以降、皇室の御崇敬篤く、特に5月15日に行われる例祭・賀茂祭葵祭)は勅使が遣わされ、京都三大祭の中でも最も歴史が古く優美なことで知られる。」等とある。 

 

〇 一の宮御朱印

 本殿に参拝後、朱印授与所へ。
 一の宮朱印帳はB5版?の5000円と一回り小さい4000円のもの。
 後者を選択したが、それでも、少し高額かなとの感想。
 しかし、御朱印帳のほか、関西の寺社等のガイドブックと一の宮の各地・各種の地図がセットになっていた。

 

 最初の一の宮上賀茂神社御朱印。さて、これから、いつまで、幾つの一の宮を巡ることができるか。
 ちなみに、この御朱印帳の一番最初の御朱印欄が上賀茂神社となっていた。

 

西国第25番・播州清水寺 番外・花山院

 二度目の西国巡礼(令和5年1月6日)

 

 正月も1月6日(金曜日)。
 世の中は動き出しいているが特に予定もない。思い立って西国巡礼へ。

 西国のお寺は小登山を要する寺院も多い。夏場は汗まみれになるので、登山を伴う巡拝は冬季の時期に。

 今日は、JR宝塚線福知山線)沿線の北摂方面。番外の花山院と25番播州清水寺。電車やバスも余りないが、うまく回れば、朝に自宅を出て夕方には帰宅できる。

 【東光山花山院(菩提寺)】
 最初は、番外の花山院へ。西国巡礼中興の祖・花山法皇菩提寺とのこと。
 JR宝塚戦の三田駅から路線バスで10数分。「花山院」停留所から徒歩20分くらい。とにかく急登。下の写真の案内掲示にも「ここから本堂までは約1kmの急坂です」との案内。背中に汗、中途で上着を脱ぐくらい。

  

 ようやく辿りつた所にある本堂。反対側には有馬富士が一望。

  

 

【第25番 御嶽山清水寺播州清水寺)】

 次に播州清水寺へ。三田駅へ戻り、宝塚線を更に北上して最寄りの相野駅へ。ここから1日に2往復しかない路線バスに乗って約30数分。
 バスの中は、往路も復路も乗客は二人だけ。

   

 数年前に初詣で参拝したときは多くの人出だったが、今日は、人出もまばら。

 本堂そばの引退ポスト。かつて麓の郵便局員が2日に1度、登山の上集配していたとのこと。SNSでの投稿をきっかけに隠れた新名所になったとのこと。

 

 今回の参拝で、二度目の西国巡礼も、残すは円教寺長命寺、と満願の華厳寺だけとなった。

令和4年 京都・紅葉!(11月19日)

 令和4年の秋の京都の紅葉。
 11月19日(土)に家内と巡りました。

 高台寺永観堂が当面の目標でしたが朝の7時台に京都祇園着、車を駐車場に入れて、先ずは八坂神社に参拝。
 参拝後、高台寺が開門する午前9時まで時間があったので、祇園から、清水坂を昇って徒歩30分程度の清水寺へ。
 清水寺は午前7時には開門していて、早い時間なのに既に多くの人出です。

 

 次に、三年坂・二年坂を下って高台寺へ。開門前には既に行列ができていた。

 次に、高台寺から丸山公園を横切って北上し、徒歩約30分余りの永観堂禅林寺)へ。既に多くの人で。紅葉と共に久しぶりに見返り阿弥陀像も拝観。

 永観堂参拝後は、駐車場のある祇園へ戻ることにするが、路線バスを利用したが超満員。中途で下車して徒歩で。
 昼食は、円山公園内の「平野屋本店」で芋棒。松本清張の小説によく出てくる店。


 帰路は、京都ではないが大阪箕面勝尾寺に立ち寄り。西国霊場の23番札所であり、紅葉鑑賞と納経を兼ねて。ただ、ここも寺への道路は大渋滞だった。

 さて、最後に番外編。伏見のアルバイト先への通勤途中に東福寺へ立ち寄り。(11月30日水曜日)

 また、来春の桜が今から楽しみ。

園田での定年後のビギナーズラック(令和4年10月13日)

 定年退職してから、行ってみたいと思っていたのが園田競馬場地方競馬で平日が開催日なので、定年前はなかなか機会が無かった。
 待望の園田競馬場訪問。
 当日のメインは2歳馬による「兵庫若駒賞」、ここの勝ち馬が兵庫の2歳チャンピオンとなり、その後に全国地方競馬の2歳馬やJRAの2歳馬と、2歳ダート王者を競うこととなるステップレースとのこと。
 しかも、今年は、園田で群を抜いて強い2歳馬が現れたとのこと。もし仮に、ハイセイコーオグリキャップのように、後にJRAの馬を蹴散らす活躍をするなら、園田で走っているときに見ておくべきとの思いで足を運んだ。

 園田競馬場は、神戸からなら、阪急で特急に乗車して西宮北口で乗り換え3駅目の園田で下車。阪神競馬場仁川駅も北口から3駅目なので、路線は違うが同じような距離関係。
 園田駅からは無料の送迎バスも出ているが、徒歩でも、ほぼ真北に向かって15分程度、真夏でなければ散歩がてらに、ちょうどよい距離。

 さて、初めての園田競馬場。入場券を購入するのかと思いきや、入口ゲートに100円玉1枚を投入してゲートが開き入場(関テレ競馬で、園田出身の岩田康誠が、この入場ゲートの変わりように感激していた。)。

 入場口左にすぐパドック、正面が小ぶりなメインスタンドです。最近のJRAの競馬場が大きいしリゾート施設みたいに綺麗であることに比べて、昭和期の競馬場の雰囲気を止めていて懐かしい。

 

 そして、園田での最初の馬券購入、馬も騎手もレースの格も何もかも分からない状況において、単勝2番人気の7番の馬の単勝馬券と、連複で3番人気へ流しを購入したところ、何んと一本被りの1番人気馬を尻目に7番が1着入戦。単勝6.9倍、まあ金額はともかく満足なスタート。

 さて、メインの兵庫若駒賞、この馬がダントツ1番人気の「べラジオソノダラブ」、これまで2戦は、スタートからの独走で、いずれも大差勝ち。単勝は1.0倍返しのオッズ。

 分からない馬ばかりだけど、3番は固いとして、後は人気薄を相手に数点買ってレースに臨んだ。
 レースでは、3番は初めて揉まれる競馬で、直線短い園田で4コーナー大外回しで危なかったが何とか1着確保、2着には8番人気の10番の牝馬(300キロ代の小さな馬)が半馬身差で突っ込み、中穴に。
 枠連3-7は1310円。
 場単3ー10は1760円。
 投資額も少ないので、それを考えたら十分な配当、ビギナーズラックでした。

 ちなみに、この2着の牝馬は、次走でJRAの馬に大敗していたし、また、勝った3番の写真の馬も、次走は園田の馬に負けていたので、オグリキャップのような地方スターの誕生は難しい状況。しかし、中央との混合戦があれば、期待して馬券を買ってみるつもり。

 とりえずの訪問記でした。

西国26番 一乗寺(令和4年5月4日)

 二度目の西国巡礼

 (※ 令和4年5月のことだけれど、結局のところ、面倒で放置していたため、アップは半年以上後の12月になってしまった(>_<)。)

 非常勤講師アルバイトの教材準備も一段落、天気も良かったので、自宅からローカル線巡りで一乗寺へ。前回の参拝は平成19年10月27日、約15年ぶり。

 往路は須磨海浜公園から神戸駅・新開地(8時56分発)経由で神鉄で粟生(10時着)まで、そこから北条鉄道で最寄りの法華口駅(10時16分着)。ここまで最寄駅から約1時間45分。

 10時20分 徒歩開始

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 法華口駅では、評判の手作りパンが販売されていたが、参拝後に戻ってから買うことに。

寺まで、ここから片道5キロを徒歩で往復。早速スタート、最初は、国道372号線を姫路方面へ西へ。この国道、ほとんど歩道か無い上に路肩も狭く、車が気になり歩きづらい。西国霊場の最寄駅からの巡礼路に当たることからして、少しは歩行ルートの整備が望まれるが

2キロいったところで左手に福錦酒造があり、その先の交差点を左折し法華山道を進む。

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法華山道は車の交通量が少ない上に歩道が整備されており、ようやく安心して歩ける。

1キロほど進むと、車道と歩行路の分岐の案内があり、迷わず歩行路へ。

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歩行路を更に進むと、フェンスの扉に遭遇。

 

猪侵入防止柵とのこと。カンヌキ等を外して扉を開放し、更に前進。
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更に進むと登りになり山門が。

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この山門を越えると車道に再合流、数分で一乗寺に到着。11時15分頃、一乗寺到着。

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 帰路は、北条鉄道で粟生まで戻り、神鉄ではなくJ、混雑していたJR 加古川線に乗って加古川経由で須磨海浜公園へ。

 加古川駅で姫路名物の駅そばを昼食に摂って、須磨海浜公園へ。

 ローカル線周遊小旅行だった。

 

尼崎商店街(4月25日)

 所要があって尼崎に出かけた。神戸在住で同じ県内であっても尼崎に立ち寄ったことはほとんどない。大阪へ行く際に電車で通過するだけの町であった。

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  阪神電車出屋敷駅から、これまで尼崎市内の阪神沿線の降り立ったことは全くなく、散策することを楽しみにいていた。テレビでよく見る尼崎の商店街も近い。 

 

 阪神尼崎駅前から出屋敷駅方面へと続く尼崎中央商店街。
 阪神タイガースの多くの応援フラッグ・掲示や、テレビでよく見る優勝マジックナンバー表示、開幕ダッシュに成功した今年、訪問現在のマジックは「119」。マジック表示の上のキャラは、尼崎の観光サイトによると「めでタイガー」とのこと。

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  およそ1キロを歩いて阪神尼崎駅前に到着。ここが尼崎中央商店街の入り口。

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  近年に再建された尼崎城阪神尼崎駅近くにあると聞いていたが、商店街側の駅北口からは見かけることはできなかった。中規模ビルが林立する街区の様子からも城が建つような立地ではないと思えた。
 このため、駅の南口側に出たが、やはり見かけることはできない。駅前の地図を確認すると、駅のすぐ東南側にあることを確認。駅東の庄下川に架かる橋を越えたすぐの所に尼崎城は建っていた。
 尼崎城は、明治維新後に廃城となっていたところ、2019年3月、旧ミドリ電化創業者が資材を投じて再建したとこのこと。
 駅南口から、歩いていくと、右手に尼崎城、道路をはさんだ左側に赤レンガの建物が臨めた。この赤レンガが唐突に視界に現れたのであるが、何とも言えず優雅で美しい。新築間もない尼崎城と比較して、歴史の積み重ねた優雅さがある。
 路上で観光関係のアンケートを求められたため、この係の方に、赤レンガ建物は何かと尋ねたところ、一瞬間を置いてから、「社員寮のよう」とのこと。建物の外観からして社員寮は似つかわない感はしたが、そのときは、そんなものかと思ったが、帰宅してから調べたら、1904年に建設された阪神電鉄の旧発電所で、現在は資材倉庫とのことであった。アンケートを求めてきた係の方は、尼崎の観光関係の人かもしれないが、もう少し勉強しておいた方がよいのでは、あれほど目立つ赤レンガなのだから。

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  最後に中央商店街の中ほどの北側にある尼崎えびす神社へ。雑然とした街中に鎮座し、下町のえびすさんといった趣がある。

  阪神の優勝と、諸々の開運等を祈願し、帰路についた。

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