定年モンキー

定年退職後の生活についてのありのままの雑記

全国一の宮巡り 宮城・塩竃神社(令和5年4月15日)

〇 宮城への旅行

 数年前から次男が仙台勤務。次男の生活地に一度は訪れたいと思っていたが、ここ数年のコロナ禍で叶わず。状況改善されてきて、ようやく訪問できることに。久しぶりの孫との再会も。

 仙台方面への旅行は、東京での単身赴任時に一人旅して以来。当時の写真のデータを確認したら2009(平成21)年9月であった。14年ぶりの訪問となる。

 前回の一人旅時は震災前で塩竃神社と松島を訪れただけであった。
 今回、陸奥国一の宮である塩竃神社に改めて参拝したいが、そのほか前回は訪れることのできなかった沿岸地の石巻などにも訪ねてみることに。

 旅の前には、いつもながらであるが司馬遼太郎の「街道をゆく」を読み、旅の事前知識をにわか仕込みすることとしている。今回も、26巻の「嵯峨散歩、仙台・石巻」を図書館で借りて一読(一読ではなかなか頭に入らないので、二読目を往路の機内で読むことに。)。

 また、最近、各地の一の宮御朱印については、書置きしか頂戴できないところが多い。このため、一の宮専用の御朱印帳は少し大きめでかさばるし、わざわざ持参すべきかどうかを確認するため、塩竃神社に電話で問い合わせた。
 そうしたところ、御朱印帳に書き込んでいただけるとのこと。
「ただし、4時半までです。」と念を押された。これは、電話したのが午後4時頃だったので、電話当日、これから参拝予定だと思われたのでしょう。      
(雨の中、200段の石段を登り始めているのが次男と孫。14年前参拝時は晴天だった。)

〇 陸奥の国の一の宮塩竃神社

 次男の住まいは仙台近郊の多賀城市
 陸奥国一の宮である塩竃神社も、そもそもの創建の由緒は、近くに国府である多賀城の存在があったとのこと(同神社のサイト)。 

 塩竃神社のサイトから引用した御由緒の抜粋)

 当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。
 鹽竈神社が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が考えられます。
 多賀城の地に国府が置かれると、その東北方向つまり「鬼門」に位置し、蝦夷の地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられます。
 その流れが今度は武家社会に入ると陸奥國総鎮守として一層尊崇を集めてきたものでしょう。

 塩竃神社の表参道近くで、多賀城から出向いてくれた次男・孫と落ち合い、神社へ。
 当日は生憎の本降りの雨。そのためか人影もまばらな表参道の200段の石段を登る。司馬遼太郎さんが、途中で息切れされたとの石段。

 

塩竃桜】
 今年の桜は東北も早かったとのこと。しかし桜はまだまだ残っていてありがたい。晴天下の桜はもちろん鮮やかだが、雨天時の灰色の中に鮮やかな桜色が目立つのも美しいし、風情ある趣き。


 塩竃桜は、国の天然記念物に指定されているとのこと。旅行前は不勉強で知らなかった。帰ってから旅サイトを見てみると、古くから歌にも詠まれた有名な桜で、例年ならば開花期は4月下旬から5月上旬とのこと。
 今年は、開花が早まっていることから、ちょうどジャストのタイミングだったよう。

 

【参拝】

 石段を登り切って御本殿にたどり着くと、雨の中、石段とは様子が違って多くの参拝客が。要は、駐車場が本殿と同じレベルの丘の上にあって、下から石段を登って参拝する参拝者は少数派だったということ。

 境内では、司馬さんが取り上げていた大阪商人(仙台藩の財政を立て直した山片蟠桃)が寄進したという石灯籠や、
 松尾芭蕉が「奥の細道」に記した「文治の灯篭」等を目の前にして、歴史に思いを馳せることもできた。  

 

 さて、御朱印は、事前に電話で確認したとおり、持参した「全国一の宮御朱印帳」に直接書き込んでいただけました。

 

〇 御釜神社

 塩竃神社の参拝後は、丘を下って市街地にある「御釜神社」へ。
 御釜神社は、松尾芭蕉司馬遼太郎も訪れたところ、ママさんによればパワースポットでもあるとのこと、当初からの必須訪問予定地であった。
 次男によれば、塩竃神社の表参道の石段は、降りるときは雨で滑って危ないとのことで、スロープになっている東参道をたどる。
 御釜神社は、東参道を降り切った鳥居前の道路をはんさんだ反対側すぐ、市街地の中にあった。

 
(晴天時の前回訪問時の写真)

 御釜神社は塩竃神社末社であり、古代、神事として製塩(海水を煮詰めて塩を採る)した場所とのこと、塩竃市の街の地名の由来でもあるとのこと。

【「御釜神社」について(塩竃神社のサイトより引用)】

鹽竈神社末社であり、鹽竈神社と同じ鹽土翁神を御祭神としてお祀りしております。
現在の御釜神社境内地周辺は、古来「甫出の浜」と呼ばれた浜辺で、御祭神により伝えられた製塩が行われた所と伝わっております。
芭蕉塩竈に訪れた際、この御釜神社にも訪れ、神釜を拝したことが奥の細道に記されております。
塩竈の地名の由来は、こちらの御釜神社に伝わる神話によるものです。

 古代の製塩に使用したという神釜も、初穂料(100円)をお納めして拝観させていただいた。


(神釜)

御釜神社の「神釜」について(塩竃神社のサイトより引用)

御釜神社には神釜と呼ばれる四口の鉄製の釜が祀られております。
この四口の釜は「日本三奇」の一つに数えられ、釜の中の水は溢れることも枯れることも無いとされ、江戸時代には変事ある時その前触れとして御釜の水が変わると言われました。

 初日は、残念ながら本降りの雨の中、早々に切り上げて仙台市内のホテルへ。明日は、山寺の参拝や、山形ラーメンを食べに山形へ向かう予定。
 ちなみに、山形県一の宮は、遠く秋田との県境・鳥海山近くにあるとのことなので、今回は断念。次の機会に。