天神祭の夜の文楽観劇
勤め帰りに大阪日本橋にある国立文楽劇場で文楽を観劇してきた。
上演時間も午後6時半から8時までと、大阪市内の勤め人なら無理もなく負担もない時間帯だった。
花キンでもない普通の平日の時間の使い方としては、近年はやりの夕活ではないけれど、有意義であったと感じた。
劇場は、千日前通りと堺筋の交差点の北東すぐのところでミナミの繁華街の一角にあり、場所がら、観劇前後の飲食も楽しめる。
ただし、この日が天神祭の日(8月25日)とは知らずに予約したため、帰路の電車の混雑を心配したが、花火大会よりは早く終わったので杞憂で済んだ。
ただ、この時間帯の上演は、例年サマーレイトナイトショーと銘打ったこの時期だけのようであり、そのことが少し残念。
文楽は面白い?楽しい?
さて、平日の勤務後の有意義な時間の使い方と言うには、肝心の文楽が面白くなければ、観劇が楽しくなければ意味がない。当たり前だが。
しかし、これが夢中になるとまでは言えないけれど、存外、面白いし楽しく、はまってしまった。定年後に色々な初めてのことを経験する機会を得たが、文楽だけは定年前からの趣味として続いている。
まずもって、語りや三味線は、なかなか力強くて迫力がある。物語りの渦中に追い込まれていく感じがあり、これはライブでないと体感できない。
また、人形の動きも、より人間らしく見えるように工夫して遣われているだけでなく、場面によっては歌舞伎等の人間の役者では不可能な動きも入ってきて、迫力あるだけでなく、ときに妖艶さも強調されている。
例えば、この日の演目「国言詢音頭(くにことばくどきおんど)」でも、大阪に単身赴任中の地方の侍が、入れあげていた遊女に小馬鹿にされたことに逆上し、何人かを刀で斬り殺すというストーリー。被害者の首が切り落とされたり、胴体が真っ二つにされたり、頭部も縦割りに真っ二つに切り落とされたりする場面があるが、これらなど、人による芝居では不可能。もっとも、いささか滑稽ではあったが、それはそれでの見てのお楽しみ。
国立文楽劇場のホームページからの引用「国言詢音頭(くにことばくどきおんど)」の 八芝初右衛門
しかし、何より思うのは、観劇中も、観劇後の余韻に浸っているときも、伝統芸能だから、演目のストーリーやセリフの昔の言葉使いはもちろん、劇場の雰囲気や、観劇全体を通しての様々な細々とした動きやら手続やらが非日常で現実を忘れさせてくれる。
そこが、今でも劇場に通っている理由かなと思う。
文楽との出会い 関西人なら近松知らんと
文楽を見ることになった端緒は他愛ない。若いときから目にしていた大阪梅田のお初天神通りのアーケードの看板等で、歴史上高名な近松門左衛門が関西の人で関西を舞台にした物語りを書いていると知って、関西人としては、いつか曽根崎心中などを読まねばと思っていたから。
そのようなことから、思いたって劇場に足を運んだのは10年前のこと。当時は東京赴任中だったため、場所は半蔵門にある国立劇場。
一番最初のときは、チケットを予約せずに劇場に赴いたが満員札止め。当時の感覚では、「エッ、なんで、嘘やろ」という感じ。そんなに人気があるとは思ってもいなかった。そのときが5月公演だったが、同公演のチケット予約状況を確認すると、期間中の土日の公演は全て満席売り切れで、改めて驚いたと共に文楽の初観劇は9月の公演まで待つことを余儀なくされた。
結果的に分かったこと、今でもそうだが、東京はチケットの売れ行きが非常に早く、土日の公演であれば販売開始後の1〜数日で満席になることが少なくない。大阪も、東京ほどではないにしても土日のチケットは売れ行きが早い。いずれにしても、熱心なファンが少なくないということだろう。
劇場に行こう
さて、劇場に行って観劇すると言っても、分からないことだらけ、あるいは分かっていることなしという状況。入門書として購入したのが「劇場に行こう 文楽にアクセス」という本。主要な演目の写真とあらすじ、文楽の色々な基本情報、大阪・東京各劇場の案内などが掲載されている。劇場の案内は、初めての観劇だけに様子も分からないので重宝、各演目の紹介も写真が大きく多いので分かりやすい。その後の公演観劇前なとに見るためのガイドブックとしても役立っている。