定年モンキー

定年退職後の生活についてのありのままの雑記

定年後の六甲縦走(大竜寺から市ケ原)

 定年後の六甲山登山の再開

 故郷の象徴の一つであり若い時によく登った六甲山。定年退職後に地元に戻り、再びゆっくりと歩きたいと思っていた。自然と縦走路を歩くことから始めることに。
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 これまで、最初は須磨浦公園から須磨アルプス・高取山等を経て鵯越まで、2度目は鵯越から菊水山・鍋蓋山を経て大竜寺まで、そして、3度目は去年の11月に新神戸から市ガ原を経て摩耶山から記念碑台までと歩いてきた。いずれもブログを始める前のこと。残すところは、主には記念碑台から宝塚までだが、それ以外にも、わずか1.5キロの距離ではあるが大竜寺から市ガ原の間を歩いていなかった。

  元町駅から大竜寺へ

   平成31年1月28日、この日は、お昼頃に家族で元町大丸で昼食と買物の予定、それまでの午前中の時間を利用して、抜けていた大竜寺から市ケ原までを歩くことに。
 JR元町駅、7時45分スタート。今日は、平日の月曜日のため、県庁へ出勤する職員や、山手女学校の生徒さんたちに交じって大師道へと向かう。下の写真は、その途中の兵庫県公館。

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web.pref.hyogo.lg.jp

 県庁を後にして、諏訪山公園前を経て左に山手短大、右に同女子高前を見ながらの舗装路を登り続けて、元町駅スタート後30分ほどで登山道に。そして9時前には猩々池(しょうじょういけ)に到着。今年は水不足なのかしら。以前、訪れたときと比べて水量が随分少ないように思う。

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 猩々池は、文化13年(1816年)に下流の花隈村など四つの村に水を送るために作られたとのこと。そして、この池の完成を祝い池を管理する代官を招き「猩々」の曲を謡ったことからその名が付いたとのこと。
 また、その先の善助茶屋跡地は、毎日登山発祥の地として知られ記念碑が建てられている。明治38年(1905年)ごろに神戸に住んでいた外国人が北野から登って善助茶屋にサインブックを置いて署名する習わしをつけ、これにならって登りだしたのが神戸市民の毎日登山の始まりとのこと。
出典:ヤマケイ関西ブックス「六甲山」

 そこから、10分ほどで大龍寺に到着。縦走路に合流。

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  大竜寺から市ガ原(六甲縦走路)、新神戸へ下山

  大竜寺から市ガ原までの縦走路は、なだらかな下りの舗装路。途中、下の写真のようなトンネルのような構造物(何かよく分かりませんが)を右に見ながら、20分ほどで市ガ原。今日のところは、全山縦走路を歩いた距離は本当にわずか。

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 下山途中の布引貯水池も、いつもよりは水量が少ない感じ。やはり今年は水不足の影響があったのでしょう。

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 神戸市街を見下ろしながら新神戸駅には10時15頃に下山。ここから、元町大丸まで歩いて家族と合流。登山後の昼食時のビールは、いつもながら美味かった。