六甲ケーブルに乗って記念碑台へ
平成31年3月8日。去年の11月に市ガ原から摩耶山を経て記念碑台まで歩き、そこから下山したため、今回は、記念碑台から縦走をスタートし、ゴールの宝塚まで歩く予定。定年退職後に地元に戻ってきてからの今回の縦走も、この日でフィニッシュとなります。
宝塚まで長丁場となるため、六甲ケーブルを利用して山上まで登ることに。
ケーブル山上駅を9時15分頃スタートで、先ずは記念碑台へ。
六甲山小学校、神戸ゴルフクラブ、みよし観音
記念碑台から縦走路を進みます。東へ、ほんの少しだけ車道を進み、すぐ右手へ縦走用の歩行者道へ。
すぐに六甲山小学校。門前の碑文によれば標高795メートル。その後は、神戸ゴルフクラブのコース横に沿って進みます。この日は快晴で、ゴルフコース越しに望める大阪湾が光り輝いています。
さらに進むと「みよし観音」。下の写真の下側にある詩碑は石原慎太郎のものです。
この観音様の存在自体、また、由来となった航空機事故自体も初めて知りました。下は神戸市灘区ホームページからの引用。
昭和39年、日東航空旅客機が尼崎市の田能遺跡に墜落した際、失神した乗客7人を救出し、8人目を救出しようと機内に入った瞬間、旅客機が爆発し、その若い命を散らした殉職スチュワ-デスを讚えるために作られました。観音像は右手を大空に差しのべています。建立当時、女優の吉永小百合さんらが「みよし観音賛歌」を寄せ、建立15周年には芝良空氏が観音像の側に、「みよし観音賛歌」の歌碑を建立しました。毎年8月1日に大空のまもり祈年祭が行われています。
六甲最高峰と一軒茶屋
10時45分ころ六甲最高峰到着。記念碑台から約1時間15分かかったことになります。これまで最高峰には、芦屋ロックガーデンから一軒茶屋経由が多く、縦走路では一軒茶屋を経由せずに、いきなり頂上に到達したので、私にしたら少し得した感がありました。
一軒茶屋で、きつねうどんを食べて小休止。
東六甲縦走路を一路、宝塚へ
さて、ここからはゴールの宝塚目指してのロングトレイル。基本的には下りになるのでしょうが、約3時間余りの歩行時間となります。
私にすれば、昭和61年に転職により東京勤務となる以前に一度だけ歩いたコース。30数年ぶりで、ほとんど記憶にありません。唯一記憶に残っていたのは、終盤になって東の方に展望が開け、仁川の阪神競馬場のオムスビ型コースが見渡せた時の記憶くらいです(おそらく、ゴールも近づく安堵感があったものと思います。)。
一軒茶屋を11時過ぎにスタート。ほとんど初めてに等しい路なので標識に注意しながら進む。しばらくは、車道と歩行者専用道が交互になりながらのルートですが、車道と完全に分岐になる縦走路分岐点からは登山道に。そこからは登山道が北側に位置している場合多く、一部に雪も少し残っていたが歩行に支障があることはなかった。
最高峰と宝塚の中間地点くらいの太平山を越えたときに東の展望が開け、前方には、上述した30数年前と同じように阪神競馬場や甲山が見渡せ、少し感動。下の写真、左側のオムスビ型コースの阪神競馬場が、また右手前に甲山が望めます。
さらに30分ほどで一般車道と登山道がクロスする大谷乗越。12時55分頃に通過です。ここから塩尾寺までの4キロの道は、登山道というよりハイキング道のように非常に歩きやすく、ラストの負担軽減に助かる道だと思いました。塩尾寺には13時45分頃到着。ここから宝塚市街地までは舗装された車道を下っていくことになります。
阪急の宝塚駅には14時20分に到着。六甲ケーブル山上駅から約5時間のトレッキングでした。下の写真は塩尾寺からの下山路から望む宝塚市街地。
駅前広場のベンチに座り、コンビニで買った缶ビールで、昼食ないし予備職として持参したお握りとカレーパンで打ち上げ。おっさんスタイルです。
さて、次は、できれば西半分(須磨浦公園から市ガ原)と東半分(市ガ原から宝塚)の二分割の縦走にチャレンジしたく、更にその先には一日での全山縦走ができればと思うのですが・・・。とにかく一区切り。